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バティック について

こんにちは、ガイドのトラジです。
バティックが日本に入ってきた歴史からお話ししますね。
バティックは昔は、ジャワ更紗と呼ばれていました。 ジャワ更紗は、日本にも江戸時代にオランダ船などで運ばれてきました。当時の人々は、この美しい染物を「コンロンサラサ」と呼んで珍重し、明治から大正にかけては、モダニストと呼ばれる文化人たちが、ジャワ更紗を衣服や小物に使って流行させました。


バティック ってなんだ?

バティックとは、インドネシアやマレーシアなどのアジア地域で伝統的に作られているろうけつ染めの布のことです。日本では更紗と呼ばれることもあります。色とりどりの模様を、ろうけつ染めという技法で木綿布に染めています。ろうけつ染めとは、染めたくない部分にロウを塗って染料をはじく方法です。ロウが冷えてできるひび割れも、バティックの魅力の一つで、手作りのものは高級品とされます。 バティックは、地域や用途によって色や柄が異なり、それぞれに意味があります。 バティックは、インドネシアの伝統文化やアイデンティティを表現する重要な要素であり、2009年にユネスコの無形文化遺産に登録されました. バティックの作り方と模様の意味と歴史について、以下に説明します。

バティック 作り方

バティックの作り方は、無地の白い布にチャンティンという器具を使って溶かしたロウで模様を描いていきます。 ロウを置いたところは染料が付かないので、色を変えながら染めていきます。 この工程を繰り返して、複雑な模様や色彩を作り出します。 この手描きのバティックはバティック・トゥリスと呼ばれ、最も伝統的で高価なバティックです。 他にも、チャップという銅製の型を使ってロウを押し付ける方法や、スクリーンプリントで柄をプリントする方法などがあります。 これらは量産しやすく安価ですが、手描きほど繊細ではありません。

バティック 模様の意味

バティックの模様には、それぞれに意味や由来があります。 バティックはもともとヒンドゥ・ジャワ文明で栄えた王宮文化の元で発展したため、王族や貴族のみが着用するものでした。 バティックの模様は王宮を象徴するシンボルであり、身分や地域によって異なりました。 例えば、パランという波のような模様は、決してあきらめない精神や向上心を表し、王族や戦士に着用されました。 カウンという丸い模様は、アレカヤシの花や種子を表し、古代の通貨や豊穣を象徴しました。 メガ・メンドゥンという雲のような模様は、雲の多い西ジャワ地方の特徴を反映しました。 バティックには他にも動物や植物、幾何学模様などさまざまなモチーフがあります。

バティック 歴史

バティックの歴史は古く、紀元前3千年頃にシュメール文明で始まったとされます。 その後西アフリカやインドネシアなどアジア各地に広まりましたが、特にジャワ島では8世紀頃からマタラム王朝時代にかけてバティックが流行しました。 その後もスラカルタやジョグジャカルタ王朝時代にも宮廷服として使われましたが、19世紀初頭には庶民もバティックを日常的に着るようになりました。 20世紀初頭までは手描きのバティック・トゥリスだけでしたが、第一次世界大戦後には型押しのバティック・チャップも作られるようになりました。 バティックは2009年にユネスコの無形文化遺産に登録されてから知名度が上がりました
  
インドネシアのバティックは、もともとジャワ島各地の王侯貴族達が儀式や祭礼の時に着るために作られていました。 十六世紀ころから世界に輸出されていたと考えられ、十八世紀になるとその量は増大して行きました。 それに伴いジャワ更紗の色彩や模様もバラエティーに富んだものとなっていきます。伝統的な柄から、中国風、イスラム風、 インド風、ヨーロッパ風など様々なデザインや色彩を作り出されて行きます。また日本の京都や奈良のような古都である、 ジョグジャカルタとソロでは、王侯貴族の頃のデザインを今もしっかりと守りつづけています。
現在では、ジャワ更紗はインドネシア名である「バティック」と呼ばれることが多くなりました。若い世代を中心に、ファッションやインテリア、アートとして再び注目されています。遠い南国からやってきたジャワ更紗は、その色彩と模様に、情熱と魅力を秘めています。
ガルーダインドネシア航空 機内誌を参考にしています。