なぜ日本ではお葬式といえばお坊さん?
「葬式仏教」のヒミツを深掘り!

日本でお葬式というと、お坊さんがお経を読んでくれたり、戒名をつけてもらったりするのが一般的。
でも、なんで仏教がお葬式とこんなに深く結びついているんでしょう?
今回は、その背景にある「檀家制度(だんかせいど)」という仕組みと、当時の社会の様子を紐解きながら、この不思議な関係に迫ってみたいと思います!
江戸時代の「お寺にお願いね!」制度が始まり
今からずいぶん昔、江戸時代の初め頃、幕府という国を治めていたところが、みんながどの宗派(仏教のグループみたいなもの)を信じているかを把握するために、ちょっと変わった制度を作りました。それが「寺請制度(てらうけせいど)」です。
これは、「あなたの家は、このお寺の檀家(だんか)さんになってくださいね」と、各家庭が特定のお寺に所属することを義務付けるもの。お寺は、その家がちゃんと仏教徒であることを証明する役割を担うようになったんです。この制度が、後に「檀家制度」へと発展していきます。
檀家制度の下では、お寺に所属する家(檀家)は、お寺に対してお布施などでお金のサポートをする代わりに、お寺は先祖の供養やお葬式といった仏事を行う、という関係が一般的になりました。
いつからお葬式中心になったの?
「檀家制度がお寺の収入を安定させたから、熱心に教えを広めなくてもよくなったのかも?」
確かに、そういった側面は否定できないかもしれません。安定した収入があることで、お寺の活動の中心が、仏教の教えを広めたり、修行を指導したりすることよりも、檀家さんの葬儀や供養といった仏事に重点が置かれるようになった、ということが考えられます。
しかし、それだけじゃなくて、当時の社会の状況も大きく影響していたようなんです。
字が読めない人が多かった
昔は、今と違って字を読める人が限られていました。そのため、仏教の難しい教えを深く学ぶ機会は、一般の人にはなかなかありませんでした。そんな中で、先祖を供養するという、分かりやすい形での仏教が広まっていったと考えられます。
みんなで助け合う意識が強かった
昔の村では、みんなで協力して生活していました。お葬式は地域全体で執り行う、とっても大切な儀式だったんです。お寺は、そうした儀式を取り仕切る中心的な役割を担っていました。
今の生活を良くしたい気持ち
昔の人々は、病気が治ったり、作物が豊かに実ったりといった、現実的な利益に関心を持っていました。お寺も、そうした願いに応える役割を担うことがありました。でも、最終的に人々の関心は、亡くなった先祖の供養に向かいやすく、それがお葬式の重要性を高めたと考えられます。
これらの様々な要因が複雑に絡み合って、お寺の活動の中心が、教えを広めることや修行の指導よりも、檀家さんの葬儀や供養といった仏事に重点が置かれるようになったんですね。
「儲け」が原因?ちょっと違う視点も
「儲けがあったのが原因かも」という意見も、もしかしたらあるかもしれません。檀家制度によってお寺が経済的に安定し、新しい信者を増やしたり、色々な活動をしたりする意欲が薄れてしまった可能性は否定できません。安定した収入があることで、お葬式という決まった儀式を行うことに特化していった側面はあるでしょう。
でも、お寺の役割は、お金のことだけではありません。地域社会における心のよりどころだったり、文化的な拠点としての役割も持っていました。お葬式を通して、亡くなった人の家族の悲しみに寄り添い、故人の冥福を祈るという、とても大切な役割も担っていたんです。

とはいえ、当時の社会の状況や、人々の様々なニーズが複雑に影響し合って、今の日本の仏教の形が作られていったと考えるのが、より自然だと思います。
お葬式とお寺の関係、少しは身近に感じられましたでしょうか?日本の歴史や文化を考えると、色々なことが繋がっていて面白いですよね!